CGEL と2つの教科書
CGEL (2002)2000ページほどの大きな英文法書
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SIEG 1 (2005)CGEL に基づく、英語圏の大学科目で使うための教科書
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SIEG 2 (2022)SIEG 1 の改訂版…かと思いきや、全面的書き換え版!
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CGEL と2つの教科書
樋口 久
・2005年、これに基づいた教科書(英語圏の大学の学部コースが主な対象)である A Student’s Introduction to English Grammar が出た。SIEG 1 としましょう。
・2022年、それを全面的に書き換えた新版(第二版)が出た。SIEG 2 としましょう。
こうなると、特に SIEG 1 と SIEG 2 について「何が違うの?」と思うんじゃないでしょうか。
以下、「特に日本の英語学習者・英語学徒にとっては、SIEG 1 の方が良いかも」と私が思う理由を紹介。
ざっくり結論的には:
⭐︎ そりゃ本家本元の CGEL が一番面白い
⭐︎ それに近いのが SIEG 1 である
⭐︎ それから少し離れたのが SIEG 2 である
大きな文法書には多くの言語事実が記述されている。ここに値打ちがある。最終的に CGEL が「面白い!」理由は、これである。多くの事実を思いつくまま並べるわけにもいかないので、それなりに基本的な秩序・枠組みに従って記述する。
小さな文法書の場合はそれなりの量の記述となる。「大きな文法書を小さくする」場合、記述の量は減るけれど、基本的な秩序・枠組みは変わらない…はずである。
この SIEG 1 - SIEG 2 の場合、確かに基本的な枠組みは変わらないものの、用語等がずいぶん変わった(というか減った)。文法書で文法用語が変わると大きい。これはもう「別の本」である。
まず、ざっと目次を比較。
⭐︎ 確かに CGEL の情報量が一番多い(当たり前だけど)
⭐︎ 確かに「基本的な枠組み」は同様だ
ということがお分かりいただけると思う。
CGEL (2002) |
SIEG 1 (2005) |
SIEG 2 (2022) |
1. Preliminaries |
1. Introduction |
1. Introduction |
2. Syntactic overview |
2. A rapid overview |
2. Overview of the Book |
3. The verb |
3. Verbs, tense, aspect, and mood |
3. Verbs and Verb Phrases |
4. The clause: complements |
4. Clause structure, complements, and adjuncts |
4. Complements in Clauses |
5. Nouns and noun phrases |
5. Nouns and noun phrases |
5. Nouns and Determinatives |
6. Adjectives and adverbs |
6. Adjectives and adverbs |
6. Adjectives and Adverbs |
7. Prepositions and preposition phrases |
7. Prepositions and preposition phrases |
7. Prepositions and Particles |
8. The clause: adjuncts |
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8. Adjuncts: Modifiers and Supplements |
9. Negation |
8. Negation and related phenomena |
9. Negation |
10. Clause type and illocutionary force |
9. Clause type: asking, exclaiming, and directing |
10. Clause Type |
11. Content clauses and reported speech |
10. Subordination and content clauses |
11. Subordinate Clauses |
12. Relative constructions and unbounded dependencies |
11. Relative clauses |
12. Relative Constructions |
13. Comparative constructions |
12. Grade and comparison |
13. Comparatives and Superlatives |
14. Non-finite and verbless clauses |
13. Non-finite clauses and clauses without verbs |
14. Non-Finite Clauses |
15. Coordination and supplementation |
14. Coordination and more |
15. Coordinations |
16. Information packaging |
15. Information packaging in the clause |
16. Information Structure |
17. Deixis and anaphora |
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18. Inflectional morphology and related matters |
16. Morphology: words and lexemes |
(Appendix: The structure of words) |
19. Lexical word-formation |
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20. Punctuation |
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・SIEG 2 の17章になるはずだった morphology を扱う章(The structure of words)は本に入っておらず、そのほかの資料とともに出版社のサイトに公開されている。「(一冊にするには)ページ数が多すぎる」と判断されたのだろう。まぁ無料でいろいろ読めるからありがたいですね:
・各章の表題に注目。CGEL と SIEG 1 では、最初の語の語頭だけが大文字。文法的に大文字にする理由がない場合には、大文字にしない。いかにも Huddleston さん。SIEG 2 では、いわば慣習的に大文字を使って視認性と見栄えをよくしており… Huddleston さんの不在を告げている。
SIEG 2 の背景として、まず CGEL の主筆だった Huddleston さんが参加していない。ほぼすべて Pullum さんが書き直して(書き換えて)いる。地の文はもちろん、用例もどんどん変えている。
この作業にあたって出版社(ケンブリッジ)がマイクロソフト社のワードを使ったのだが、知ってる人は知ってる通り、Pullum さんはワードが大嫌いなのだ。そこで社会人学生として Pullum さんに学んでいた Reynolds さんにワード作業を任せた。Reynolds さんは樹形図を描いたり「この用語はやめたら」程度の提案はしたが、文章を書いたのは Pullum さんである。…という話を Reynolds さんから聞いた。そうなんだろうと思う。
Pullum さんは、全文を書き直しつつ、文体をインフォーマルで読みやすい感じにした。一般に文法書の文体は硬すぎる、Huddleston の文体も硬すぎると感じていたのではないかと思う(それは前書き、特に xiv - xv ページにも読み取れる)。
脚注も姿を消した。ジョークとして「この本に脚注は一つしかありませんよ」という脚注があるだけである(xvi ページ)。いかにも Pullum さんである。
それは用語にも反映される。例えば、「これは英語の実情を伝える記述文法であり、お説教する規範文法ではありませんよ」という時に使う用語も:
SIEG 1: descriptive / prescriptive (page 4)
SIEG 2: describing / advising (page 7)
という具合である。また
SIEG 1: FORMAL / INFORMAL (page 3)
SIEG 2: NORMAL / MORE FORMAL (page 7)
という用語改変も同じ感覚に基づくものであろう(インフォーマルがノーマルなのだ!)。
あるいはまた:
SIEG 1: open (page 122)
SIEG 2: この用語、削除!(page 169)
もちろん概念が消えるわけではなく、「多くの語が属し、いくらでも語数を増やすことができるような…」という説明は残してある。そんな長い説明を繰り返さずに済むための用語なのだが、実は open という用語を別の意味で使ってるし、というところ。
大したことではない。小さなことである。しかし、そんな「小さなこと」がポロッと出現するたびに、本家本元の CGEL から少しずつ離れる。
いや、結構大きく離れてしまうケースもある。want to stop trying to be … のような動詞のつながり(あるいはそのようにつながる動詞)を指す catenative という用語を廃止したのである。その結果、
SIEG 1: Sara wanted to convince Ed. - この want は catenative 動詞 (page 216)
SIEG 2: Al wanted to like Ed. - この want は intransitive 動詞 (page 325)
ということになった。ここで want を「自動詞」と呼ぶと色々と面倒なことになるのではないか。だからこそ catenative (文字通りには「連鎖」)と言ってたのに…と思わざるを得ない。良くも悪くもそれなりにきっちりと組み立てていた体系の一部を触ると、こういうことになる。
かと思うと CGEL の立場を一層明確にした部分もある。例えば:
CGEL + SIEG 1: ago は例外的な「後置詞」とでもいうべきか (CGEL, page 632) (SIEG 1, page 141)
SIEG 2: ago は、決して目的語を取ることのない前置詞である (page 196)
しかし、以上は、「小さなこと」と言える(文法書にとっては重要な点もあるけれど)。普通の読者にとって最も大きく目立つのは、「英文法について従来言われていた間違った意見を叩く」部分が増えたことであろう。たくさんあるが、典型例としては:
CGEL: hopefully についての偏見について、脚注だけ (page 768)
SIEG 2: hopefully に対する偏見を叩きまくる半ページ程の独立囲み記事 (page 218)
こんなことやってるから morphology(語形成)の章が入らなくなるんですよ(笑)と言いたくなる勢いなのだ。
Pullum さんが叩いてやまないこの種の「英文法についての偏見」は、ほぼすべて英語母語話者(特に米国)のものである。日本人が英語を学ぶ際「分離不定詞は間違いである」「いやそれは偏見である」みたいな話を初めから聞かされることは少ないだろう。
しかし、そもそも「人を言葉遣いで判断する」傾向が強いのが英語文化圏である。諸般の事情により、特に米国でその傾向が強い。「この言い方が正しい(というか入学・就職に役立つ)のだ」というマニュアルが数多く出回っており、人々はそれを信じ、したがって実際問題として入学なり就職なりに影響する。その内容が、根拠のないウソばかりなのだ。
Pullum さんはイギリス生まれだが、長年アメリカの大学で教えた。そしてまた、強い奴が不当に弱い者いじめするのが我慢できない性質でもある(例えばチョムスキーが根拠のない自説を強引に主張すると、「それは無理でしょう」と素直に指摘する)。要するに、良いヤツなのだ。英文法に関する嘘話に人々が振り回されている現状を目の前にすると、黙っていられないのだろう。これは、わかる。
このあたり、Huddleston さんは熱心でない。せいぜい「各種文章作法マニュアル等に避けましょうと書かれている場合も多いが、実際の英語使用はそうでもない」程度である。あくまでも客観的。その一方で、「まぁ私は書かないけどね」みたいなことをポロッと付け加えたりする。事実は紹介します、あとは各自判断してくださいという、健康な立ち位置である。
この人が熱心に叩くとすれば、明確な根拠・一貫性のない文法記述(と称するもの)である。例えば「come の未来形は will come ですが、過去形には came と would come の二種類があります」みたいな話は許さない。「ここでの You must come は意味的に命令文です」みたいな言い方も許さない。「この -ing は現在分詞ですが、こちらの -ing は動名詞です」みたいな言い方に対しては、現代英語でそれを通すのは無理じゃないですかねぇ、と冷静に宣言する。ついでに言うと、なんとなく大文字を使ったりもしない(上の目次比較参照↑)。要するに、きちんと一貫してないと気が済まないのだ。文法書を書くには最適の性質かもしれない。
文法書には、その著者の考え方の癖・気質が表明される。哲学や心理学で「カント哲学」「ユング心理学」という具合に人物が基本になるのと事情は似ている。「英語という自然言語を客観的に記述するのだから、主観は無関係」ではないのだ。
だからこそ、数多くの英文法書が存在する。これからも増える。同じ文法書に基づいているはずの教科書も、版が変わり、主役が変わると別物になる。というわけであります。
以上、まとめますと:
CGEL: 大量の言語事実を扱いつつ、用語・記述に一貫性を持たせる(基本的に Huddleston 文法)
↓
SIEG 1: 文法教科書として、そんな一貫性を紹介しようとする(Huddleston 文法 + Pullum 節)
↓
SIEG 2: 難しい用語を減らし、本文も用例もやわらかくしつつ、「(英語文化圏で)これまで威張ってきた権威」を叩くのに熱心(Pullum 節)
という流れ。したがって:
CGEL: 結局は情報量も多いし面白い。長すぎると思えば、第2章(全体の概観)だけを短い入門書だと思って読めば便利。Huddleston 文体。
SIEG1: CGEL的な内容・英文法観を英語圏の大学で教科書にするために書かれたもの。主に Huddleston 文体。
SIEG 2: さらに「英語圏での教科書」色が強まり、CGELから半歩離れた、独立した本になった。すっかり Pullum 文体。
いずれも、それぞれに面白いところがあり、そうでもないところもある。賢く使えばよろしい。その上で、私が「日本の学生さんには SIEG 1 が良いんじゃないかな」と思う理由もおわかりいただけたかと思う。
通例、新版が出ると、旧版は不要って感じになる。しかし、この場合、かなり別の本になった。そんな事情を説明する人も少ないかと思って、以上をご案内いたしました。